いきなり私の例を出して恐縮ですが、最近、半分趣味で料理にチャレンジしています。下手なんですが、たまに美味しいものもできあがるので楽しいです。
たとえば、初心者には調味料の加減ひとつにしても、まるでわからないものです。あるときは、「コショウ少々」の加減がわからず、辛すぎるスープができあがりました。牛肉を煮たときは、入れた醤油が少し多すぎて、しょっぱい味になりました。レシピを見ながらではあっても、煮たり焼いたりする時間の加減も、初心者としてはほとんど自信が持てないものです。
料理に慣れている人にとっては、言うまでもない「あたりまえ」の加減なのでしょう。適切な調味料の分量も、調理時間もからだの感覚で身についていることが多いでしょう。しかし、ビギナーは数をこなして、試行錯誤をとおしてちょうどいい感覚をだんだん覚えていくしかありません。
心理学では、他人の苦しみがわかることを「共感性」といい、他人にとってプラスになる行いをすることを「向社会的行動」といいます。人間は,1歳半頃から援助行動がみられ、他者理解や共感性の発達に従い,よりバラエティー富んだ利他的行動が可能になると考えられています。
共感性や向社会的行動が生じるためには、自分自身の「あたりまえ」が、必ずしも他人にとって「あたりまえ」ではないかもしれないという認識が大事になるのではないか、と私は考えています。自分とは異なる「他者」の存在に気づくことです。これは「国際化」や「多様性」の話題にもつながることです。
Aさんにとっては何の苦もなくできることが、Bさんにとっては非常に困難なことである場合があります。たとえば、Bさんが他人の目からは見えにくい障害を持っているような場合は、なおさらです。Aさんが3分でできることが、Bさんは30分かかるようなことも、あるかもしれないのです。
そんなとき、Aさんとしては相手の立場を思いやり、Bさんのことを知ろうと関心を寄せる気持ちが必要になります。Bさんとしては、自分の障害についてAさんが理解できるように説明や依頼をしていくことが必要になってくる場合もあります。そこに必要なのは、コミュニケーションです。いわゆる合理的配慮の問題は、コミュニケーションの質が大きく関わっています。
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