数日前に打合せでお会いしたジャーナリストの方と話しているときに、リトミック教育の話になりました。「他者のリズムに合わせること」と「自分のリズムを奏でること」のバランスを取るという話題となり、非常に興味を持ちました。
1か月ほど前、心理検査の勉強の中でも、「リズム」という言葉が出てきました。「その人らしいリズムがその検査の反応中に調和的に表現されているか」という視点について説明されており、そこでリズムという単語が使われていました。その説明の中の「その人らしいリズムの表現」とは、外側から定められた拍子にただ合わせることとの対比として述べられており、「調和的な表現」とは、周囲を気に掛けることなくただ好き勝手に動いたり自分で自分のコントロールの利かない形で動いてしまうことの対比として述べられていました。つまり、周囲の様子に目配りしつつ自分でコントロールして自分らしいリズムを表現する、ということですね。そういう視点で人間の個性を眺めるということに、非常に面白さを感じたことを思い出しました。
そういえば、CWS(クリシ・ワルテッグ・システム:こちらも描画を用いた心理検査の一種です)の勉強でも、詳細は省きますが似た視点が出てくることも思い出しました。
上記三つの話をとても面白く感じた私は、これまた全く別の領域の方との雑談の際に「最近興味深かったのは、、、」とお話してみたところ、孔子の「心の欲するところに従えども矩を踰えず(こころのほっするところにしたがえどものりをこえず)」の言葉を教えていただきました。帰宅後にこっそり言葉の意味を調べてみますと「自分の心に思う事をそのまま行なっても、全く道徳の規範から外れることがない。孔子70歳の心境(日本国語大辞典)」と出ていました。
心理学の中では道徳や規範を重要視するわけではないのですが、例えば、心理学上の適応という言葉を「のびのびとその人らしく過ごしながら、社会的にもある程度うまくやっていけること」と考えるならば、孔子の「心の欲するところに~」の言葉や、「その人らしいリズムが調和的に表現されること」は、臨床心理学でいうところの「適応」とも重なるのでしょう。私たちは社会生活を送る中で、つい「社会に調和的であろう」「矩を踰えないようにしよう」と考えがちで、「自分らしいリズム」なんて邪魔なだけでなるべくなら隠しておきたいと感じるかもしれません。しかしながら、心理学上の適応を考える際には、「自分のリズムを表現すること」がとても大事なものとして扱われることを忘れてはいけません。もしも、せっかくの皆さんの「自分らしいリズム」が遠いところ(心の奥深く)に追いやられてしまっているのだとしたら、私は「皆さんの持つ特有のリズム」を丁寧に掘り起こして耳を傾け、どうしたらそれを調和的に表現できるかを一緒に考えたいなぁ、とカウンセラーとして改めて思ったのでした。
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