どんな時に発達障害に気づきやすいか-大人の場合(2)

前回の(1)の最後に私は「発達障害を持つ人々が生きやすい環境とは何なのか、我々専門家も日々考え続けることが必要ですね。」と書きました。今回はお約束の通りこの部分についてさらに考察を深めてみたいと思います。滝川一廣先生の著書に『子どものための精神医学』という本があり、素晴らしい洞察が書かれていますのでそれをもとにお話しします。


90年代から発達障害、特に自閉症圏の増加が報告され始め、やがて発達障害ブームのような状況になってきました。今はNHKなどでも発達障害の特集が組まれ、注目を集めています。発達障害の診断増加の原因は何なのでしょうか?90年代から生物学的な要因として発達障害の発生率が急に上がったとは考えにくいようです。ひとつは発達障害の診断範囲の拡大(アスペルガー症候群が含まれるようになったこと→その後自閉スペクトラム障害という言葉にまとめられました)、もう一つは産業構造の変化(第三次産業である商業やサービス業が中心となった)による発達に遅れを持つ人々の「生きにくさ」の増大と言われています。


第一次産業は農業などの自然に働きかける労働です。第二次産業は機械を作ったりビルを建てたりしてものに働きかける労働ですね。これらが産業構造の中心だった時代は、「勤勉性」が最も大事な価値とされ、高い社会性は労働に求められませんでした。多少無愛想でも仕事ができれば社会の中で存在が認められ、居場所があった時代です。


ところが現代のように第三次産業というひとに働きかける労働が支配的な時代になると、「勤勉性」よりも「社会性」が最大の価値とされるようになりました。私も肌で感じていることですが、「仕事さえできれば良し」ではなくなり、過敏と言えるほどの対人配慮性・対人協調性が求められる時代になったのです。仲間外れにならないためには、ぼっち(ひとりぼっちのこと)に見られないようにするには、当たり障りのない人間関係を結ぶには、ということにより多くの人が細心の注意を払うようになりました。中高生の間では「ぼっち恐怖」という言葉があり、孤独であると見られることへの過剰なまでの恐れを示していると言われています。


このような社会性は、発達に遅れを持つ人々にとっては最も苦手とするものです。この価値が重視される環境は、彼らにとっては困難の多い・居場所のないところになりがちです。かつては社会的に承認された「才能」が今や「障害特性」と見られてしまう状況があるのです。診断数の増加が産業構造の変化という社会的要因によって引き起こされているわけですね。


私も発達障害を持つ方々への社会性のトレーニングについて関心を持ち、日々のカウンセリングへの応用について試行錯誤を繰り返しています。一方、今の世の中が求める「社会性」の正体とは一体何なのかを見極めていく視点も同時に持っていたいと思っています。過度の対人過敏性を抱えて生きていくのも、時に窮屈で気疲れの多いものだからです。


参考文献『子どものための精神医学』滝川一廣


   (カルガモ)