文豪夏目漱石の『私の個人主義』という講演は大正3年に学習院で若い人に向けて行われたものです。その中に、私の好きな次のようなくだりがあります。どこかで読んだことのある人も多いのではないでしょうか。少し長くなりますが引用させていただきます。
「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。
その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝な倫敦(ロンドン)を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。」
人は悩みの中にいる時は五里霧中で、道が見えないような気持になるものです。「出口のない暗いトンネル」にいるようだと語る人もいます。「光が見えない」と表現されることもありますし、「空回りして進まない」と言う人もいます。
しかし、一見停滞しているように見えても、水面下で進歩していることがあります。内部にエネルギーを使っているからこそ、外面的には停止しているという場合があるものです。困難な状況が何も変化していないように見えても、自分の中では徐々に対処法が洗練され、そのレパートリーが増え、心の器が大きくなってきていることがあります。
思い込みを捨ててつぶさに観察してみましょう。少しずつ進んでいることがわかることがあります。わずかでも進展があることに気づくと、さらに前に進む勇気も湧いてくるものです。あなたの鶴嘴(つるはし)が鉱脈に突き当たるまでぜひ進んでいってほしいと思います。
ジョウビタキ (葛西臨海公園)
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