茶碗の凹凸や釉薬や斑な色などのざらついた表面を景色という。
あたかもそれが自然の岩肌であるかのように見立てるのだ。
盆栽もあたかもそれが大木であるかのように仕立てて見立てる。
石もそうだし、箱庭もそうだ。
小さいものを大きなものに見立て、また、大きなものを小さなものに見立てる。
日本の芸術は大きな自然を小さなものの中に「作り込む」のが得意である。
その小さなものの景色を眺めることを通して大きな自然を見ることができる。
大きなものと小さなものはつながっている。
山の景色も石や盆栽の景色も同じ自然の景色。
ただ小さな景色はイマージナリー・ネイチャーである。
「仕立てる」や「見立てる」の「立てる」や、「作る」や「込める」は、自分の気持ちをそこに入れて、その自然に溶け込んでいく視点を示している。
小さなものに季節のうつろいを見立てて鑑賞する。
日本人は自然をイマージナリー・フレンドとしてきた。
そういう心の広がりをもてることは随分と癒しをもたらしてきたに違いない。
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