今年の日曜日の夜はNHKの「光る君へ」の中で紫式部の生涯が描かれています。ドラマの中で紫式部(まひろ)と和泉式部(あかね)との会話がありました。あかねは敦道親王との思い出を綴ったと言いながらまひろに原稿を手渡してから、「書くことで己の悲しみを救う」のだと述べます。これはまひろがあかねに以前伝えた言葉でした。あかねは書くことによって「この言葉がなければ私は死んでいたかも知れない」と謝意を表わしたのでした。
文字を書くことには多くの「効能」があります。ざっくり言うと文字があれば歴史学、なければ考古学です。文書には多くの種類があるのは言うまでもないことですが、個人の事情に限れば、自分を語ること、そして自分を記録することはあかねが言うように「自分を救う」ことがあるようです。まひろは別の場面で気色ばむ清少納言(ききょう)に向かって、源氏物語の執筆の動機について「帝のお心をとらえるような物語を書きたいとは思いました」と答えます。確かに誰かのために書くことも多いでしょう。しかし、まひろは同時に「紫式部日記」を綴っていました。紫式部は、光源氏と自分の物語の両方を書いていました。
無数の日記が今日も書き著され、そして昨日までの少なくない自叙伝が古典となって出版されています。人が生きてゆくうえで欠かせないものは沢山ありますが、自分の物語もまたそのひとつでしょう。

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