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発見的ということ

住み慣れた街であっても、知らなかった部分というものはたくさん見つかるものです。たとえば、目をつぶって自分の家から近所の道を歩くところをイメージしてみましょう。


あの家の玄関にはどんな感じの花が咲いていたかな? あの角を曲がると、どんなお店があっただろうか? などと想像してみてから実際に歩いてみると、想像があいまいだった部分や、想像とは違う部分が出てくるものです。


とくに何度も通っている道となると、知っているつもりになっていることも多く、何かを発見しようと思って見ていないかぎり、新しいものが目に入ってこない場合もあります。


発見的に歩くということは、「眺める」というより、もう少し積極的な観察が必要です。もちろん、よほど目立つものがあれば、眺めていても目に入ってくることもありますが。


カウンセリングについて論じる場合、新しい知見が得られたときなどに、「発見的」などという言葉が使われることがあります。「気づき」という言葉を好んで使う人もいます。自分についての気づきは「洞察」と呼ばれることもあります。


カウンセリングでは、あるテーマに沿っていろいろなエピソードをよく語っていきます。わかっているつもりのことを話したあとに、今まで考えもしなかったものの見方や考え方が自分のなかから出てくることがあります。


クライエントの人はそういうとき、「話していて思ったんですけど…」などと前置きしながら、今ここで浮かんできた新鮮な捉え方を、実感を込めて話してくれる場面もあります。


「何かまだ言葉にしきれていない自分の思いがあるかもしれない」と思いながら、カウンセリングに臨んでみることも、自己発見の一つの有効な方法かもしれません。

                                カワウ(水元公園)

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