カウンセラーの自己紹介欄に、「セラピースタイル:精神分析的精神療法」と書きました。
力動的精神療法、精神分析的心理療法とも言います。
日本臨床心理士会のHP によると、「フロイトが創始した『精神分析』を基本として、クライエントの問題や時間、場所などの条件にあわせて行う心理療法」で、「クライエントが自分のこころに率直に向き合ってそれをことばにするという作業にセラピストが同行する、というイメージ」であり、「症状というものが面接を受ける方の今までの生き方と密接に結びついている、という考えのもとに面接が進められ」るため、「ある程度の時間と手間がかか」るので、「根気よく自分に向き合ってみようという方にお勧めします」とあります。
実際には、最初にお目にかかった瞬間から精神分析的精神療法がいきなり始まるということはありません。受理面接やインテーク面接など言い方はいろいろとありますが、お困りごとや悩みごとの経緯や現在の状態をまずはお伺いしていきます。その上で、なぜこのように苦しんでいるのか、どのような課題に取り組むとよいと思われるのか等の見立てをお伝えして、精神分析的精神療法がその方にフィットするようであれば、そこで改めて一緒にやっていきましょうというお約束をする感じです。導入までに数回かかることもまれではありません。
このコラムでは、精神分析的精神療法まわりのあれこれを少しずつお話ししていこうかと思っています。まずは、わたしがどうして精神分析的精神療法を専門としたのかについて、その出会いからお話しさせてください。
わたしが高校生の頃、世の中は臨床心理学ブームでした。河合隼雄著「こころの処方箋」に高校の図書館で出会い、編集者の伯父を慕って作家など本まわりの仕事を考えていた16歳の自分は、進路を臨床心理学に決めました。仲良くしていた司書さんが心理学科卒というのも、生きた情報が得られるという点で大きかったと思います。さて、どこの大学に進めばよいのか考え、「臨床心理士になるために」という大学院ガイドをぱらぱらと見ていた時、一校だけ毛色の違う文章がありました。パッション、熱量が異常に高い文章にわたしは心を奪われ、熱にうかされたように受験をしました。その文章を書いた教授の専門が精神分析的精神療法だった、それだけの話なのですが、今も昔も、その先生の言葉には心を動かされ、揺さぶられるのです。目に見えない心にアプローチする方法として、生きた言葉を使える精神分析的精神療法をもっと学んでみたい、理解したいという動機がずっとあるのでした。
わたしのアプローチと違うところもありますが、東畑開人著「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(新潮社)を、精神分析的精神療法がどういうものなのか関心のある方にお勧めしておきます。
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