今回は自然観察のテーマとしては最終回になります。「季節感」と「心の悩み」の関係について、思いつくままにお話ししたいと思います。
俳句作品において季語が重要になるように、自然観察でも季節らしさを感じることは、その核心の一つでもあります。たとえば、春先に桜の開花を楽しむために、散歩をする人は多いですね。私の近所の桜並木でも、その季節になると歩道を散歩する人だけではなく、車道で車を徐行させて咲き具合を眺めている人々をよく見かけます。桜の開花によって春の訪れを実感しますね。
とくに慢性的に精神的な不調を感じている人のなかには、閉じこもりがちな生活も一因となって「季節感」が乏しい人がいます。ある程度改善してくると自発的に少し外出する意欲が出てきて、外の世界の空気の温度、木々の様子や、草花の色合いから季節を感じる機会が増えてくるようなケースもあります。モノトーンだった気分や感情のなかに、わずかでも温度や色彩が生じてくると、生きている実感を再び取り戻す契機にもなってくるでしょう。
「季節感」とは時間の感覚でもあります。たとえば、深い傷つきのある人にとっては、過去のある時点で時が停止したようになって、動きのない固まった感じになっていることもあります。世の中が変化してしまうのがつらい、そんな気持ちになることもあるでしょう。そのような思いを感じている人は、出来事が移り変わってゆく世の中が、何か少し遠い世界のように感じることもあるかもしれません。しかし、改善してくると刻々と変化する世界にまさに身を置いている自分、流れていく自分の感情を徐々に感得できるようになります。
カウンセラーとして基本的に大切にしたいことは、無理に外出や社会参加を強いるのではなく、相談者のなかに自発的にそうしたい気持ちが出てくるまで、そばに居続けることかもしれません。焦りは禁物です。急がば回れという局面は多いものです。
しかしもちろん、さまざまなケースがあるので、一律にそう断言できるわけでもありません。人間の抱えている事情というものは、複雑多様で、ときに想像を超えたものです。カウンセラーの強い励ましがないと一歩踏み出す勇気が出ない場合もあるでしょう。そこが難しいところです。傾聴なのか、解釈なのか、支持なのか、あるいは激励か…。
カウンセラーは漫然と話をお聞きしているのではなく、耳を傾けると同時にどう対応するのが最良かをいつも頭のなかで考えているものです。
(アオサギ)
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