見せない秘密

人は自分の弱さを見せたくないものである。

都合の悪いところやダメなところは隠しておきたいものである。


哺乳類や爬虫類や鳥類にも同じところがある。

例えば、猫は死を悟るとき、どこかに消えて人目につかずに死んでいく。

鳥は自分が弱ったことを悟られないようにしている。

爬虫類も弱ってきているのははた目にはわかるが気丈に振る舞っている。

だから多くの飼い主が騙されてしまう。

元気だったのに急に死んでしまったと驚愕する。

でも本当は弱っていたのだ。

これはある種のフェイク、元気なふり、演技、カモフラージュ、偽装である。

そのことは最も親しい飼い主にすら伏せて秘密にしている。

「弱さを見せる」ことはまずいことであり、

「秘密」にしておかなくてはならないことである。


では何故そうするのか。

飼い主に心配をかけまいとしてという配慮の心の理論が動物にあるだろうか。

面倒をかけないように気を使っているのだろうか。

動物の専門ではないのでわからないが、そこまで高度な思考があるとは考えにくい。

親鳥が敵の目から雛をそらすために、わざと大袈裟に怪我をしたふりをしておとりを演じるものとも違う。

むしろ、その逆、弱っているのに強がって「平静を装う」のである。

そこで避けようとしているのは、弱さを見せて捕食されることである。

弱さを露呈したらやられるので隠す。

だから、死ぬまで弱さは見せないのだ。

餌食にならないように弱さを秘密にしておくのは安全機制である。


人間にも同じところがある。

文字通り死ぬまで「弱さは見せてなならない」という秘密保持のカモフラージュ機制が働いているのではないだろうか。

このように考えると、多くの人が自殺したり、生涯ひきこもっていたりしていても決して助けを求めないのに合点がいく。

救助表明は弱さをさらすという重大なリスクが伴っているのだ。

死ぬことを誰にも悟られないようにするのもそうなのだろう。

それは「死の本能」などというものではなく、

弱さを見せて殺されないようにするための生存の本能であり、

自分が弱って死ぬと感じている(認知の歪みも含み)からこそ、死ぬまでは悟られて捕食されないようにしっかり生きようとする努力なのではないだろうか。


だから、「気楽に相談して」とか「心を開いて」とか「声かけ」とか「絆が云々」だのというのは、安全保障上、ちょっと軽くて信用ならないので乗る気にはならないだろう。


ポリヴィーガル理論で無理くり解釈するなら、交感神経による逃走と言うよりも、腹側迷走神経による社会的偽装を施しつつも、内実は背側迷走神経の凍結によって「弱さを隠して秘密」にしている状態が維持されているという仮説を立ててみたがどうだろう。

この秋、ポリヴィーガルに基づいた催眠の実践についての研修が企画されているが中身はまだ秘密である。