認知症と夢

認知症の方の話を聞いていると、

どうも時間と空間の座標軸がなくなっているような気がする。

専門用語では失見当識という。

アルバムに貼ってあった写真がはずれて床にばらばらに散らばっているような状態だ。

でもそのひとつひとつの写真自体は鮮明なこともある。

時系列、人生の文脈につながっていたそれぞれのエピソードという袋が数多く散乱しているような状態だとも言える。


何かに似ていると思ったら、それは夢であった。

夢につきあっているようなものである。

人の夢の中に入り込むことはできないのだから、これは貴重な体験である。

認知症の人はずっとまだらに夢うつつなのだろう。

夢の中が奇想天外で面白いのは、堅苦しい時間や空間、論理や現実がないからなのだ。


しかし、我々はどこかの時空の座標において人と出会っているので、

時空がないとフラッシュばかりで、

文脈や物語に位置づけられたアイデンティティをもって出会うことはできない。

それが認知症のさびしさなのである。