秋になり庭木を剪定していると枯れ枝を見つける。
木は健康だし、枝が虫や病気にやられたわけでもない。
日当たりの悪くなった下枝が枯れるのはわかるが、
日当たりが悪くない枝でも枯れ枝になるのがある。
木は水分や栄養を枝に配給するときに選別をおこなっているのではないだろうか。
どこの枝を生かして、どこの枝を止めるかを限られた資源の中で選択しているのかもしれない。
すべての枝に同様に補給し木が全体的な栄養不足になることを避けている。
これは竹林にも当てはまる。あまり条件のよくない竹は枯れ、元気な竹が残る。
竹林として全体のシステムとなっている。
限られた予算の中で何を諦め、何を買うか選ぶのに似ている。
動物の数も全体として調整されている。
ある動物が増えると適度に捕食されたり飢えたりしてバランスの取れた数になる。
生態系全体から見ると樹木も竹林も動物もそういう調整が行われている。
しかし、人間がその部分だけを見ると、弱肉強食とか適者生存とかいう見方をすることになる。
人間社会の論理を自然に当てはめている。
自然の方が人間よりよっぽどジェントルである。
諸行無常と感情移入するのではなく自然の成り行きでいいのだ。
戦争で人口が減るのは人類の狂った所業であり自然の営みではない。
3月の日本個人心理学会のテーマは全体論である。
人間や社会も部分ばかりでなく全体を見ると見えてくるものがある。
精神を細分化して過去や遺伝子や脳に還元していくのとは真逆のベクトルで全体論は進んでいく。
枯れ枝も全体から見るとわかることがあるように全体論で考えてみたい。

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