top of page

なんとなく 

  • 6月30日
  • 読了時間: 2分

 なんとなくこっちを選ぶ。なんとなくここに来た。なんとなく良い気分。積極的、意識的というわけではないが「なんとなく」という心の働きがあるでしょう。中原中也は「月夜の浜辺」でなんとなく拾ったボタンを以下のように書いています。「それを拾って、役立てようと 僕は思ったわけでもないが なぜだかそれを捨てるに忍(しの)びず 僕はそれを、袂(たもと)に入れた。」

 私も小学生の4年生のときに海水浴に行ったときに拾ったものがありました。平べったいが少し湾曲した直径15センチほどの石でした。ただ黒光りをした面白い形だから持ち帰っただけですから、「役立てようと思ったわけでもない」ものでした。しかし、しばらくしてデパートの屋上で小さな亀をせがんで、買ってもらうと、ちょうど亀ちゃんの家の屋根になりました。

 文化人類学者レヴィ=ストロースは、なんとなく手元にとっておいて後で何かに役立てることを「ブリコラージュ」と名づけました。日本語では「器用仕事」と訳されることもあります。「なんとなく」は、あえて言えば、「手ごたえ」や「予感」があると言えるのではないでしょうか。役に立つかも、立たないかも、でもとりあえず手元にとっておく。もし役立つそのときが来れば、器用仕事につながります。

 もう50年も前になりますが、赤瀬川原平らが「超芸術トマソン」を提唱しました。命名の由来やそのコンセプトについての説明は省きますが、「トマソン物件」自体は、実に分かり易いものです。赤瀬川が紹介したものを例にとれば、上った先に出入り口がなく下りてくるしかない階段でした。本体である建物が改築され、階段だけが残っていたのです。これは彼らによって「四谷の純粋階段」と名づけられました。この階段は建物を失い、それに付随する階段というコンテキストをなくしたわけです。

 ブリコラージュにはもともとコンテキストがありません。ある時点で亀ちゃんの家の屋根になることもあるでしょう。しかし、また時が過ぎれば、ただの石にもどるでしょう。レヴィ=ストロースは、「ブリコラージュ」の対語として「エンジニアリング」を提示しました。緻密な設計に基づくエンジニアリングは当然役に立つのですが、「なんとなく」が人を支えることもあるでしょう。

                                                                                                                        トマソン物件(金沢八景駅前)
トマソン物件(金沢八景駅前)

コメント


bottom of page