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サイコセラピーの世界

 病気の人を助ける(医療)、不遇にある人を助ける(福祉)、困っている人を心理的に助ける(心理)などの「支援」だけがサイコセラピーではない。

 サイコセラピーは病気の人や貧しい人や困っている人を支援する医療や福祉ではない部分もある。それは長く深く時間をかけておこなう高価で高尚で楽しい知的探求作業である。

 セラピーとは言うものの「治療」や「支援」ではなく、心理学、哲学、スピリチュアルな領域とも関わりながら心や人生や世界を探求する営みである。

 このような非常に知的に高度なサイコセラピーが普及したのは、おそらくフロイト以降であろう。それ以前では哲学や神学的な対話、もしくは文学や芸術がサイコセラピーに近い。

 一方で、この忙しい社会で、そんな人生や心の探求などのんびりしている場合ではなく支援の成果を出さなきゃだめだろうという立場から、ちまたで人気の認知行動療法やブリーフセラピーなどの手法もセラピーとして勢力拡大している。

 サイコセラピーは人類の知的遺産として受け継がれる価値のあるものである。その中身は芸術のように作品として公開されることはなく、誰ものぞけない面接室に一時的に立ち現れるだけである。

 これは消えてなくなる芸術、つまり、食べることと似ている。サイコセラピーも消えてしまうものだ。何やら板前さんになったような気分になってきた。




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