月を指さす
- しまうまさん
- 9月24日
- 読了時間: 2分
漱石が中学や高校で英語の教師をしていたころ“I love you.”を「月が奇麗ですね。」と訳しなさいと生徒に言ったという逸話があります。しかし、出典が見つからないらしく、一種の都市伝説なのだろうということになりました。この話は漱石云々というよりも愛の伝え方として英語と日本語では好対照であることに面白みがあると思います。
“I love you.”と言ったとき、「私」と「あなた」が向かい合い、お互いを見つめ合っています。ところが、「月が奇麗」と言うのなら、「私」と「あなた」は横一列にならんで月の方向をいっしょに観ています。いっしょに何かを観ることが愛することなのだという指摘は、いっしょに世界へ働きかけることを暗示しています。
何かをともにと書きましたが、やはりそれは月であることが愛を語るに相応しいと思います。“lunatic”という単語は英和辞典には「狂気の」といった訳語が書いてありますから、西洋では必ずしも良いことを連想するものではないようですが、私たち日本人は、いつの時代も月を愛でてきました。小林一茶の「名月を取ってくれろと泣く子かな」は今も人々に親しまれています。宵の刻に親子で縁側に腰かけて親はのんびりと観ようとしているのに子どもはワンワン泣いてうるさいのでしょうか。
祖父の古い家には茶室がありました。その庵の入り口に「指月」という表札が掛けてありました。祖父は私が小さいころに亡くなったので、ほとんど思い出もないのですが、いっしょに月を観たかったです。








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