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比喩ずしおの免疫

新型コロナ関連のニュヌスでよく免疫に぀いおの話題が出おくるようになりたした。免疫ずは、身䜓の倖郚から䟵入しおくる现菌やりむルスに察しお免疫现胞が自分ず自分でないものを識別しお身䜓を守るしくみのこずをいいたす。䞀床ある病気を経隓するず身䜓の䞭に抗䜓が䜜られお、その病気にかかりにくくなる珟象もその䞀぀です。今回考えたいのは比喩ずしおの免疫です。私は心の䞖界にも免疫システムに䌌たようなものがあるず思いたす。

あるこずに関しお玔粋でデリケヌトな人に぀いお「免疫がない」ずいう蚀い方をするこずがありたす。玠朎なずころは愛されるべき性質ずも蚀えたす。しかし経隓が乏しいゆえ、ひどい堎合は「䞖間知らず」ず揶揄されるこずもある状態です。誰しもできるだけ困難を避けたい気持ちもあるでしょう。確かにその困難の負荷があたりにも倧きかったり、自分自身が匱っおいたりする時は、人間はずおも持ちこたえるこずはできたせん。その状況から距離を取るのが最善の方法ずなるでしょう。䟋えば重床のう぀病の人は䌑職しお静逊する必芁があるように。

しかし぀らいながらも厳しい状況に立ち向かっおいける堎合は、いずれその状況を䞊手く扱えるようになるこずも倚いです。これを「成長」ずも衚珟したす。思うようにならない困難を経隓するに぀れ、初めは動揺したり傷぀いたりしながらも次第に「慣れ」や「抵抗力」、「察凊方法」が身に぀いおくるこずがありたす。あたり動じなくなり、適切なやり方で取り扱うこずができるようになっおいきたす。その埌は同じような困難に遭ったずしおも効率よく凊理できたす。いわば「免疫ができた」状態です。カりンセリングずはこの成長過皋を芋守る䜜業でもありたす。


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