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適度な匙加減を体得する

調味料の匙加減というのは、難しいものです。とくに私は調理の経験が浅いので、失敗するときも出てきます。


ある日、調理中に醤油を使いすぎて、完成した料理がしょっぱくなってしまいました。次の機会では、その記憶があったために醤油の使用を控えめにしました。そうすると今度は薄味になってしまいました。なかなか思うようにはいきません。


レシピ通りに計ればいいじゃないか、と言われそうです。「適量」などではなく、「大さじ1杯」などと書いてあれば、それに従うこともできます。レシピの分量に忠実であれば、平均的な味にはなるでしょう。しかし、それが自分の舌に合う味とか、慣れ親しんだ家庭の味にピッタリ一致するかといえば、そうとも限らないのです。結局、どの程度の量が自分や家族にとって適当なのか、その感覚を身につける(体得する)ためには、どうしてもある程度の経験を積むことが必要になります。


同様のことは、他のことにも言えます。たとえば、カウンセリングの面接場面で、あるクライエントの方にはどれぐらいの難易度の課題設定が必要かとか、どれくらい雑談的要素を入れて和んでもらうのが適当かとか、そういった対応の仕方を考えていくときなどです。こういう心理援助の適度な匙加減を覚えていくときにも、知識を得るだけではなく、やはり面接に臨んだ回数を重ねる必要があります。(ちなみに「匙加減」は日本国語大辞典によれば、「薬剤を調合するとき、匙で薬をすくう分量の多少」とあり、もとは病み人への対応に関係している言葉なのが興味深いです。)


根性論は、今の時代ではあまり好かれなくなってきているようです。確かに、無理をするのは良くありません。しかし、ものごとを究めるうえで、継続性という観点は大切なことだと思います。調理にしても援助にしても、経験の回数を増やしていくことは、ときに継続力というパワーを必要とします。しかし、ただ漫然と回数を増やしていけば、目標に近づくわけではありません。力技だけでは、ものごとはうまく進まないのです。さらに加えて、前回の失敗を分析して、次の計画を立てるという一種の研究的態度も必要になってきます。言い換えれば、謙虚に振り返りをしたり改善策をあれこれ考えだしたりする態度のことです。


継続力と研究的態度。口で言うのは簡単ですが、実行するのは困難かもしれません。しかし、それらのさらに奥に、情熱や信念のようなものが垣間見える人だと、成功する割合が高いように見受けられます。


   ( 南流山中央公園 )

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