top of page

すっきり感(3)

うつ病や不安症の場合の「すっきり感」について見てきました。最後に「すっきり感を求めすぎること」にふれることで、このシリーズの締め括りとします。強迫症の病理やタイパ重視の時代傾向という観点から、短く考察してみます。


強迫症には多様な症状の現れ方があります。たとえば、帰宅したら手を1時間洗わないと気が済まないとか、物の位置などにこだわって少しでも乱れがあると落ち着かないとか、そのような症状に苦しんでいる人もいるのです。生活に支障がないうちはまだよいのですが、程度が進んであまりに負担になる場合は、医師から強迫症と診断されることがあります。


それは過度に清潔や秩序にとらわれた状態と言ってもよいでしょう。清潔や秩序が守られていると感じられているかぎり、「すっきり感」を持てるようです。強迫的な心性では、きれいではない状態、白黒つけがたい曖昧な状況が脅威であると感じるようです。


ところで、クリアにならない状況にしても、確証が持てないもやもや感にしても、どうにも白黒つけがたい事態というものは、いろんな場面で起きてくるものです。人間の心理などは、白黒つけがたいものの典型と言えるかもしれません。意思決定における葛藤や迷い、微妙な感情や直観、他者の思惑など、すぐには判断のつかないことが、人間に関してはたくさんありますね。このような曖昧なものに対して我慢が効きにくい人は、かりそめの結論にすがりついて、ものごとに決着をつけようとすることもあります。


いわゆるタイパ重視の傾向を持つ今の時代では、結論のみを知ることで「すっきり感」を即座に得たいと思う人も多くなっているようです。しかし、もちろん全部ではありませんが、問題の性質によってはゴールが見えてくるまで時間がかかることもあります。言い換えれば、実際は、あれこれ考えながら時間をかけて試行錯誤していくうちに、ほんとうの解決が見えてくることもあるような気がしています。


                                           利根運河のキジ
                                           利根運河のキジ

Comments


bottom of page