前回の(1)では、対人的なかかわりに長けた人は、ある程度自分の感情を隠して、「顔を作る」ことが上手な人が多いと思われることを書きました。もう少し、このテーマで話を深めていきましょう。
人は心に悲しみや痛みを感じた時に、素直にそのつらい気持ちに向き合う代わりに、目の前の物事に過度に目を転じることで心中の苦痛を感じないようにすることがあります。これは精神分析では「躁的防衛」と言われます。目の前の物事とは、一時の快楽や、飲酒、喧噪、笑い、忙しさなどを指します。
どう見ても悲しい状況にいるのにハイテンションに見える人がいます。そういう人は「躁的防衛」の状態にいるのかもしれません。あまりの悲しみから自分を守るために、そうせざるを得ないのかもしれません。「葬式躁病」という言葉があり、正式な診断名ではないのですが、精神医学を勉強したことのある人であれば、知っている人も多いはずです。そのような状態の人にお目にかかると、とても深い悲しみを感じて心が痛くなります。
確かにずっと長い時間、心の中の悲しみや痛みに向き合っていることは大変つらいことです。なので、適度に現実的な仕事や趣味に没頭して気分転換することは役に立ちます。カウンセリングの場面でも、「何かちょっとした楽しみに取り組んでみて、考えすぎないようにしていく」方法を一緒に検討していくことはよくあることですし、有効なことです。
しかし、それが過度になって心の中に渦巻く感情に全く直面しないとなると、不都合が起きてきます。それは自分の本当の感情から逃げることになってしまうのです。悲しみや痛みから立ち直っていくためには、ある程度それらの感情とつきあって、一定の回復のプロセスを乗り越えていく必要があるのです。そのプロセスの先に、本当に笑える日々が待っています。
大きな悲しみや痛みであるほど、長い時間をかけてつきあっていく必要があります。悲しむべき時には悲しむことが大切です。その過程を省略しないほうが良いと思われます。
たとえば、何か大切なものを喪失してしまった時に、すぐ代わりのものを見つければその悲しみが癒えるかと言えば、必ずしもそうではありません。失ってしまったつらさや寂しさに向き合う時間が、本当に立ち直るために必要になってきます。
カルガモ
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