「借り」と「借りもの」
- しまうまさん
- 24 分前
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カウンセリング場面で出てきそうな2つの言葉について、今回は思いつくままに考えてみたいと思います。カウンセラーは言葉のマナーにはうるさくありませんが、言葉に潜む気持ちについては興味を示す人が多いかもしれません。
① 「借り」
「借り」という言葉がありますが、臨床心理学的に見てかなり意味深い表現です。日本語の「すみません」は感謝にも謝罪にも使えます。相手から恩恵を受けたにせよ、相手に迷惑をかけたにせよ、「その人に対して自分は借りがあり、その負い目があるため気持ちが収まらない」という自分自身の気持ちに焦点を当てた表現になっています。「何らかのお返しや償いをしないかぎり、気持ちがすっきりしない」感じですね。
英語ですと感謝の場合はThank you.などのように、良い行いをした相手に焦点が当てられます。一方、謝罪の場合はI’m sorry.などのように良くない行いをした自分に焦点が当てられます。行為の主体という観点から、その所在が相手なのか自分なのかに着目するところが、英語らしい感じがします。自他の区別がポイントになるということですね。日本語の「すみません」の焦点は、あくまで自分ですね。どちらが優れているというわけではなく、文化による着眼点の違いですね。
② 「借りもの」
「借りもの」という言葉も、臨床心理学的に興味深い意味を持っています。「借りもの」とは「借りものの知識」や「借りものの価値観」などという言い方で使用されます。「自分の属性であるにもかかわらず、一時的なもの」とか「自分に根付いておらず、いずれ返すもの」というイメージが感じられます。とくに知識や価値観などに関しては、青年期的な同一性確立のテーマとも関連性が高いと思われます。
この言葉も、不安や疚しさ、あるいは劣等感の雰囲気が漂うことがあります。「自分らしくない」とか「本当の自分ではない」「他者から無理やり与えられた」などというイメージを感じるような文脈もありそうです。しかし、図書館で借りた本みたいに「借りてみて良かったから、買うことにしました」なんて例もあるかもしれません。借りものが自分のものになることも、自己形成の過程ではありえますね。
参考文献
大橋理枝・根橋玲子(2019) コミュニケーション学入門 放送大学教育振興会

(カルガモ)
Kommentit